2010-07-02

言語

互いの意思の疎通を行わせる手段である。
人間は言語を通じて、
他人と意思の疎通を図る。
そして、その言語のようにして、
人工知能への命令を可能にさせている。

意思の疎通ができるであれば
無理に苦手な言語を使う必要はないのだが、
結果的に一番思いを伝わせることができるのが
言語となるのが、現代と言えよう。

僕は2つの言語問題を抱えている。
1つは日本語ではない言語の必要性であり、
もう一つはコンピュータ言語をわざわざ日本語に置き換える
必要性についてである。

日本語外言語については
僕とて、そう外国語が得意ではない。
しかし、重要なのは意思を伝えようとする意思が
強いかどうかである。
どうも、外国語というだけで、尻込みしてしまう人が多く
伝えようとしている相手のことを理解していない。
僕は思う、意思を汲み取りたいなら、
「外国語が解りません」っていうのではなく、
「僕にもっと解りやすいカタチで説明しろ!」
っていうこともありだと思う。

そして、もうひとつの問題である
コンピュータ言語はある意味日本語外の問題と逆である。
日本語、コンピュータ言語も言語であり
別の語法で成り立っている。
だから、その機能表現を表すときに無理して
日本語等の会話言語のドキュメントにする必要はなるのか?
って感じる。
まして、その言語を理解している人が読むことが
前提であるドキュメントなのだから、
わざわざ無理した会話言語にせず、
そのコンピュータ言語をそのまま読むべきだと思う。

何度も言うが、言語は意思疎通の手段である。
手段であり、目的達成のためなら
無理する必要はないと思っている。

、、、もっとも、現代人は意思疎通への目的意識そのものより
意思疎通していること自体に生きがいを感じている節があり
相手に伝えるという行為はあまり意味がなくなりつつあるのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿