漢字のイメージだけならば末端。
一番端っこという意味だが、端末という意味はもう異化されているといえよう。
そもそも、端末とは外来語それもコンピュータ用語のterminal への当て語であった。
terminal は日本語でも交通機関の乗り換えで一般的に使われてきている。
コンピュータでも交通機関でも
terminal 自身は同じ単語である。
対象となる2物の接点であること。
それぞれの対象物からすれば、接点は末端でないと相手に接することは困難である。
その末端から自分では得られないものを得るという意味である。
現時点において、端末の意味は
携帯電話、PC等をさす意味になっている。
これは前提として、繋がっていることが前提で
使い手である所有者たる人間とデータを受け取るセンターコンピュータが
この末端である端末でもって接点にしているのである。
現代の端末の概念について俯瞰的に見ると面白い。
それぞれの端末自身は
使用者、所有者の使い勝手、好みでカスタマイズが容易にできてしまう。
しかし、それは端末の見た目であって、端末の真の価値である
接続については、所有も変更も現時点では許されることがない。
自分のものである、、でも自分ひとりでは意味がない
なんとも曖昧な存在だろう。
、、、逆に端末そのものが今の現代人そのものの投影なのではないかと
見えてしまう。
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