思う。
担当者になることなかれ、責任者となるべきだ。
担当者、責任者は一見、一読、一聴、すると同じような意味に感じ、
もしかしたら、多くの人は同義に捉えているかもしれない。
どこが違うのか?そう思うこともあるだろう。
しかし、その段階で、責任の意味の重さを気付いていない証拠であり、
社会的な無責任さを感じる。
多くの人間は
感覚的にはわかっているかもしれない。
「担当者出て来い!」ではなく
「責任者出て来い!」だし。
「窓口担当は○○」であり、
「窓口責任は○○」とは言わないだろう。
要は
担当は役割、手法の担い手
責任は目的、完遂の担い手
である。
相手が真に求めているのは
手法ではなく、完遂なのだから、
そこに持っていかなくならない。
ただし、場合によっては責任者になれない場合もある。
自分の身分、相手の期待度により
別の他人が責任者でなくてはならない。
その場合、自らの立場を理解して担当者に徹し
引くところは引き、責任者に任せることを即座にすべきだ。
相手は完遂を求めているが
その前提に自分の存在を肯定しているか、疎ましく思っているかも
考慮がいる。その気遣いが一番重要なのかもしれない。
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