偏見と信念はほぼ同意とみなすべきである。
言葉として、耳障りの基準で見れば方向性の異なる言葉かもしれない。
しかし、根本的な主旨は
自分の思うまま、他人の意見が入る余地がない
という点に尽きる。
偏見を持つな
信念を持って生きよ
なんてことを聞くと、論理矛盾にしか聞こえない。
こう書くと
「そんなのお前の思い込みだ、正しくは、、、」
という反論も想定できるが、
それこそ、また、自分の思い込みである正しさという偏見ではないかって感じてしまう。
人は根本的に偏見の塊であり
その偏見に対して、懐柔をしていくことが会話であり交渉である。
そう考えれば、少しは交渉するときの心のクッションになるのでは
っと思う次第である。
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