他人に何かをさせること、
使役と我慢は対になっていることを理解しているだろうか。
我慢はするものではなく、使役させられるものである。
我慢という言葉の用例を思い出してみよう。
「我慢しなさい」
「それくらい我慢しろよ」
「僕が我慢さえすればいいのだ」→ 自分自身にさせている表現
すべて、使役の上で成り立つ。
我慢はするようにみえて、させるもの。
使役をどうするかである。
だから、よーく考えてほしい。
我慢のさせ方で、その人の評価が逆になる。
やっていることは同じ多くの人民に我慢を使役しているが、
自覚して使役するものは、為政者
無自覚で使役しているものは、悪政者
となるわけである。
過去の歴史、自分の周りを見渡せば、おのずとこの事実が理解できると思う。
別に政治でなくても、振る舞いを見れば、
本当に無自覚に使役している愚者が多いこと、
そして、本当の意味でうまく立ち回っている人をよく見れば
部下たちや周りの者たちに、かなり厳しい使役をしていることが伺えるではないか。
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