人にある感慨をもよおさせる、その物独特の味わい。
また、物事に触れて起こるさまざまな感慨。
となっている、、、では、感慨とは、、
心に深く感じること。しみじみと思うこと
となっている。
つまり、事象からおきる心の動きとでも簡約できよう。
この情緒というものは、
時代、社会変動とともに、変わっていくものであるのに
普遍的なものと思われている。
それは、使われ方が普遍だからである。
情緒という概念を口にする時には
概ね、上から目線でつかわれる。
年配や上司が、下の者を評価、揶揄するときに使われる。
だから、実際には年配、上司の主観でその意味を使っていている。
結果的に何年もその表現を使われているが、本来の意味は変わっていると思われる。
実際にその年配、上司が若かったことに、その人たちからみて
年配、上司と同じ意味で情緒を使用しているとは限らない。
いや、全く逆といえるかもしれない。
やっと自分の価値観で、相手のことを評していいという事実からである。
情緒は人の価値観、人の思いの現れであり、
他人からの評価を受けるものではないのだが、
目上の人間からして、使いやすいかどうかで
その情緒を指標にして話している現代社会に違和感を感じる。
情緒での査定は意味があるのかと、、、
0 件のコメント:
コメントを投稿