2009-08-17

反省

過去の自分の言動やありかたに間違いがなかったかどうかよく考えること
と定義されている。
このレベルであれば、共通認識を僕も持つこともできる。
しかし、一歩踏み込んだレベルだと庶民レベルと
異なる方向になるかもしれないと思っている。

反省における’間違い’の認識だが、
庶民や良識とされるのは、
社会と自分との比較で、自分に否があるとするだろうが、
僕自身は自分より、社会の愚かさに感じている。
反省を社会に対して同じ過ちをしないように思うのではなく、
社会に対して、どう仕返しをしてやるか、
そう思うのである。

実はこれは、文章にすると極めて過激に読み取れるが、
多くの庶民が気付かず行っていることにすぎない。

「最近の若者は!」
「一般常識もわからないのか!」

って口にしている時点で、
自分の認識が社会であるという思いそのもの現れである。
自分の思っていることこそ、社会である、つまり自分=社会となり、
反省をするのではなく、させる側にいるではないか。

僕はその感情やその思いに忠実に従っているにすぎない。
そもそも、社会は人間が作ったものであり、
社会をよくしようと反省するのであれば、
それは社会を自分の意思で変えていくという論理が順当である。

他力本願のくせに
自分の理想を掲げることなく、
自分の思い、それが仕返しであっても
社会を変えている意味での反省のほうが
前向きと思えてならない。

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