美しいもの、すぐれたもの、尊いもののたとえで使われる。
珠、玉、ともに球体を示しているが、球とは表さない。
古来中国において、丸いもの、真球こそ高貴、神聖なものとされてきた。
球体の特徴は丸いことであるというだけでは十分ではない。
球の特徴は中心から等距離にある点の集合体であることだ。
点で面とは言いがたい表層を作り出している。
その点が無限大にされる存在。
だから、無限大を人民に例えて、
すべての人民から等距離で触ることができない存在だからこそ
珠、玉は高貴かつ権力の象徴とされてきた。
理論的はとても考えられたものだと思うが
たぶん、この手のものは後付け理論だといえる。
理論があるから、権力者が珠玉を手にしたのではなく、
権力者が珠玉を持っていたから、理論が作り出された。
逆に言えば、珠玉という価値観も当時の権力者の好みが
そうでなければ、生まれなかった価値観といえる。
高貴なものが権力者に装飾されているのではなく
権力者に装飾されたからこそ、高貴な扱いをうけるのだ。
言葉も価値も、権力を握ったものにより
定まることを再認識しなくては。
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