力によって他人を従わせることだが、
実は、従わせた者の得るものによって、そのイメージが変わる。
そもそも人間は怠惰な動物だ。
自然淘汰の世界ならば、自ら食を得ないものはすぐに息絶えてしまう。
人間以外に社会性をもつ動物がいて、その中では
助け合っているっていう見解もいうだろうが、
実際のその動物の社会性は残酷なことが多い。
少しでも怪我を負ったものやボスの機嫌を損ねたものは
得てして、見捨てられて死を迎える。
だから、その死への拒絶から社会集団性を本能的に従うのである。
しかし、人間は社会制度の高度化により
死を意識することは少なく、選択の自由を得ている。
その自由の反対に、強制を意識していると見受けられるが、
怠惰な活動を強制しないと、その自由すら得られないと捉えるべきではないか?
物理的、心理的に強制を受けても
それにより、従った者が高い技術や行動実績を身につけることが
その者にとって、この先の選択、自由のよりどころになるのではないか?
強制から逃げているものに、与える享楽は、、あってはならない。
0 件のコメント:
コメントを投稿