2010-09-10

畏敬

秩序を考えるに置いて
畏敬は十分条件ではなく必須条件と僕は考える。
確かに畏れがあると気持ちが窮屈になり、違和感を持つとの声があがる。
それがどうした?

親しき仲にも礼儀あり
鋼は鋳造なくして生まれない

一定の緊張感をもって人と接することで
人間の身を引き締めて、
それにより活動、成果のリセット、仕切りなおしが起きるといえる。
だらだらとした関係、
口先だけの敬語での対峙関係、
これでは敬いは生まれない。

相手を畏れ敬うことで、
自分のなすべきことの使命感、責任感
そんな相手からのギャップのような謝辞による昂揚
逆の叱責の恐ろしさ。

これらの起伏、緩急が人間に深みを与える。
ただ生きている、思いのままに生きるそんな存在は
社会的にも淘汰対象になりつつあるのが実状だ。

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