人間は古今東西、人種を問わず、信仰を持っていることになる。
確かに無信教と言うかもしれないが、
社会、風習に宗教色が混然一体化しているところを取られば
何らかの形でその信仰に関わっている。
その際に、人間は精神の世界のものを具象化するために神像を祀り上げる。
神々とされる彫像物、聖人の似姿がそれにあたる。
僕は神像への参詣が好きだ。
父とともに寺院に回った際に、
その大きさ、雄大さに感銘を受けたことだ。
子供のころに無理やり見に行ったときではなく、
人生の転機に、父とともに自らの運転で寺院に出向いて
他の参拝者がいないなかでの対峙できた経験がそれにあたる。
神像はある意味、自分の心情の鏡ではないかって思う。
自らの心情でその神像をのぞけば、
叱咤、慈愛、憂い、を自分に与えてくれると思う。
忙しく、かついろいろな思いで自分を見失っている人は
じっくり自らの信じる神像の尊顔を拝するともしかしたら
何か得られるのでは??
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