他人に迎合していくように捉えられる表現だが、
実際のところ、感化されるということは、
その人間の視野が広がったと捉えるべきだろう。
現代社会はいろいろなことがありすぎて、
なかなか感動しなくなってきたのではないか?
むしろ、感動すべきことに触れられなくなったのではないかと感じる。
仮想現実、人間関係の希薄化がそれを導いているかもしれない。
また個人主義のために、相手の意見を鵜呑みにできない世相も感じられる。
自分でいいと思ったら
思いっきり感化されていきたい。
自己主張の強い僕でも、結構感化されることが多い。
でも、それは人間より動物の本能に感じることが多い。
もっとも心に訴えるものは、限りなく本能に近いことであり、
その本能を隠さず、示している動物の行動はある意味見習うべきと感じたりする。
感化して、その人、ものに倣うこと、
それは模倣というより、
新たな自分の発見、
忘れていた自分の気持ちの再認識
そう前向きに思うべきつくづく思う。
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