保護と庇護はほぼ同じ意味のようだが?
一般的には、同一の意味で使われるだろうし、
庇護のほうがもはや保護に意味吸収されていくだろう。
それは言葉が背負う時代からの影響の性といえる。
庇護より保護のほうが、包括している表現である。
庇護は庇(かば)い、護る。
保護は護り、保つ。
庇護は、護っている行為そのものに注力した表現に対して
保護は、護られているものが安全を保たれていることまで示す表現といえる。
だから、
「親の庇護下になる」という表現はあるが、
親のことを’庇護者’とは言わずに、’保護者’というのも
包括性が伺える。
ただし、ひとつ思う。
本当に保護するとはなんだろう。
確かに、外的要因から護ることは、庇護でも保護でもある。
しかし、護られてるものがいつまでも護られつづけられることは
時間的老朽の歯車にのっている自然界ではありえない。
あえて外的にさらして、自己防衛力を身につけさせることも
保護、真の保護ではないかって思うことがある。
安全を保つためには、自ら安全を勝ち得ることが必要だと思う。
相手を庇うことができるようになって初めて
保護ということが理解できるのではないかと。
他人、組織が庇ってくれないと思うこともあるだろうが、
自らで護る行動をしてこそ、保護の意味がわかり、
今度は自分が他人、組織を護るべき存在にならなくてはならない
と思いはじめなくてはならないのではないだろうか?
0 件のコメント:
コメントを投稿