目的に対して、ものごとを設け定めること、と辞書説明があるが、
それでは本質ではないといえる。
設定の本質は、場面における機能限定を強いることだ。
設定されていない事象は、本来用途は多様である。
簡単にいえば、なんでもできる可能性を持っている。
しかし、目的に対して事象を設定してしまうと
他の機能の可能性を外す、機能させないということになる。
日本人の多くは
汎用性
可能性
を重んじる。子供の教育等にそれが表れている。
だから、できるだけ将来や方針の確定、つまり人生の設定を曖昧に流す。
でも、考え方だが、
設定が重要であることを早めに知るべきではないか?
って感じる。
終身雇用が崩壊している現代社会において、
就職という行為は人生すべての設定が終わったわけではない。
逆に、一定期間、自分は他の可能性を否定してでも
組織においてどんな設定をうけて、それを責務に行動できるのか
体得すべきである。
設定されずに、可能性をもっているものと
少なくてもいくつかの設定を受けてきたものは
似ているようで雲泥の差があるとしみじみ感じる。
設定する、されること、ものごとの価値の現れではないかといえる。
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