2010-01-13

主語

日本人は風習、語族的特性で、主語を省いた文章で意思疎通をする。
相手の名前を直接呼ぶということを失礼、忌み嫌う風習や
助詞、動詞、尊敬表現を用いることで、主語がなくても相手を特定できる
日本語の特性を持ち合わせているからであった。

しかし、それゆえ個人それぞれを自覚、指示、役割を曖昧にした
言語となり、個々人の責任や意思を表明しづらい言語になってもいる。
あくまでも、主語を隠すゆえに話者間の間で暗黙の了解がある前提ゆえ、
役割宣言のように、これから暗黙の了解の関係を築いていく間柄ではなかなか伝わらない。
日本的に考えれば、言葉ではなく行動で示してから信頼をえよ。
ということだが、農耕民族から高度社会に傾倒している日本では難しい。

だからこそ、
社会人になっている社員、部下、後輩にいつも意識させる。

「他人と言葉を交わすときには自ら意識して、主語をつける表現にせよ」

と。例え自分のこと、相手のこと、であっても
私が、あなたが、という表現をすることが重要である。
わざわざそうしなくてもって思う気持ちが意思疎通の大きな障害になるだろう。
意思疎通が悪いという社会悪は自分自身、相手の存在を互いに認識していない。
主体性をもたない現れと僕は感じ、主体性を意識するための主語表現と考えている。

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