梅干しのつかり具合のことから、
事象の程度、具合、調整のことを指すようになった言葉だ。
この塩梅をうまく行ったものこそ、成功者ではないかとしみじみ思う。
特定の技術に精通した人間は数多いる。
特定のコネクションをもった人間も数多いる。
多くの場合、その成功者が必ずしもその領域のトップではない。
しかし、塩梅だと思う。
特定技術を特定のコネクションにうまくはめることができたこらこそ、
その人の活動は成功したといえる。
多くの場合は
技術、技巧の素晴らしさを誇張して、
コネクションから必要性が導けない。
コネクションからの要望が無理すぎて、
技術が対応できていない。
こんな塩梅の悪さが失敗になるのだろう。
塩梅はいつも一定の基準ではない。
その状況下で常にかわるものだからこそ、
把握し続けることが必要とされる。
たぶん、その理解はとても難しい。
技術の方向性
人の気持ち
はいつ変わるか解らない。
だから、タイミングを待つというより
今のタイミングを見失わないように行動できるか、
その速度感をもって行動にあたるようにしたい。
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