2011-10-13

仕合

言葉が変わっていくそのさなかの文字だろう。

シアイ

現在は<試合>になっているが

殺しあう、<死合>から始まり
仕事をなす、<仕合>になり
物騒な言葉、表現を取り去って、
互いを試算、研鑽する意味で、<試合>になっている。

人間が実力発揮でいるのは、、生命をかけた闘争心であり、
死合がもっとも能力を高めてきた。

その行為に準じて、現在の試合になっているのだが
所詮、試合は<ごっこ>でしかない。だから試合といわれるものがつまらなくなり、
死合、、少なくても仕合を人間は求めはじまる。

古代のコロシアム
現代社会のバーリートゥード
なんてものは、その現れである。
本物の生死をかけた仕合、、死合への追求である。

2000年以上前の古代ローマも現代社会も
口では、「平和」「安全」って唱えながら
心の中では「殺戮」を奏でている、
人間ってそんなものって感じてならない。

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