観察とは長期的な視点が必要である。
その分、長い目でみた計画が必要になる。
小学校の植物の観察を理科の時間という
1年間の履修行為にあわせて行われてきた。
はっきり言えば、現代社会においては理科の授業ではなくなっている。
植物の生育などは、ネットで無料配信の早送り動画や他の植物のことは
容易に知りえてしまうのであり、1年間、観察し続けることの意味につながらない。
僕はこれは理科ではなく、洞察力の観点の訓練と捉えるべきといいたい。
長期的にものの移り変わりをみることは
なにが変わったのか
なぜそうなったのか
いつそうなるのか
を読み解くこと、、洞察力につながるといえる。
具体的には
・朝顔のツルが、手前の支柱に巻きつきはじめた
・これは手前のほうが日陰になりにくい
・伸びるタイミングは日の出から数時間のようだ
ということを読み取り考えることこそ、観察の真髄といえる。
ITの繁栄で知っていることは武器にならない。
なぜそうなるのかを
長期的な視点による観察という視点で
知っていることより、こうなるという予測、法則を導くことがこれからの
社会で生きていく武器といえる。
詰め込み教育より観察、洞察、考察の時代になってきたといえる。
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