2011-10-25

科目

専門性、膨大な情報量のせいか
教育の場で、選択科目という概念が成り立っているが
これが専門性どころか、無知の促進を促していると結論づけられるといえる。

国民全体として、一定水準のことを
知らないことや無知であることは恥ずべきこと、
だから、一定水準の教育と躾を先進国は推進してきた。
教育という前提条件、共有情報があるからこそ
高度なコミュニケーションが成り立っているし、
それに見合う知識をもって、足りなければそれを恥じて補う行動をとる機運があった。

しかし、この選択科目の登場により、
「自分はこっちをやっているから、それじゃないところは知らなくてもいい」
「自分はこっちさえやれば、知らなくて当然」
という高度コミュニケーションの断絶を促進する結果になってきている。
専門科目=高い理解、というのは理想幻想であり、
専門科目=それ以外の科目を学ばなくてもかまわない権利
となっているといえる。

選択の自由、高い専門性を求めるより
詰め込みといわれようが、
洗脳といわれようが、
統制、均一性のある教育科目の履修を徹底させないと、
社会全体として
最終的には他人と意思疎通を行い、
高付加価値創設活動ができなくなるといえるだろう。

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