2011-03-10

出馬

現在は、選挙等の民意によって選ばれる立候補する意味になるが、
この言葉がある以上、
日本の民主主義、、いや
事業継承や組織運営は今のまま衰退するだろう。

出馬って戦に赴く言葉である。
戦うという意味である。

実際に考えてほしい。
互いに出馬という意味で選挙に挑んだ後に
勝った側
負けた側
が心から手をとって、民主主義に行動できるだろうか?

もし出来るなら、、、そもそも
初めから選挙のために出馬する必要はないといえるのではないだろうか?

過去の民主主義で
リンカーンが執ったチームライバルというやり方はある。
対抗馬に要職を与える
反対分子を取り込んでいく
として、結果をだしただろうが、、、
それは稀な成功例であるから、後世に語り継がれるのであって、
その前後のアメリカの治世は同じことをしていたのだが劣悪だったことは
なかなか伝わらない。同じことをしても失敗のほうが多いと言うことを。

出馬という表現を変えるのではなく
民主主義、立候補ということすら
すでに時代にあわなくなっていると感じてならない。

やりたい奴がやりたいところで治めたい人たちだけを
対象にすることも今のグローバルは可能になっている。
大手国際企業の多くは、CEOを立候補で選ばないし、その企業の帰属意識も
国家より会社と感じて各国を飛び回るのだから。

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