多くの人間は、恒久的かつ汎用的なものを求める。
しかし、それは幻想であり、市場経済ではあってはならないことである。
もっと言えば、
汎用なものという肩書きの専門的なものが出来たということになる。
人間の技術進歩は
日進月歩を超えて、秒進日歩であることは
もはや疑いない。
昨日までの最新技術がいつの間にかレガシーって呼ばれる時代である。
この技術進化を市場、、つまり経済活動に関わる人間は否定しない。
出来ないはずである。技術進化こそ、有効需要、供給の礎であるからだ。
それゆえ、恒久汎用という
今後これでOKというものは技術進化の背理であり、
そんなものが出てくるということはその分野の市場限界がきたということであり、
今後の経済活動が見込めないということになる。
恒久でなくても、汎用的なものが登場した段階で
経済活動の限界が見出せ、新たな市場に目を向けるときともいえる。
しかし、人間の心理は
「何でも出来て、長く使えるもの」
を求める。
そして、
それに応えようと多くの企業が多機能、長寿命な製品を出してくる。
でも実際にその製品のマーチャンダイズライフはどうなるか。
「機能が多すぎて、理解できない、説明書が厚いよう」
「いろいろな機能のせいで、やりたい機能がすぐに動かない」
「こない市場にでた、新製品のほうがかっこいい、これ動くけどもういらない」
「修理が利くって言うけど、部品代工賃が専門の技術者で高すぎ」
という巷のクレームを浴びることになる。
汎用という訴求力のある製品はインパクトがあるぶん、
嫌われることも汎用的だったりする。
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