2010-10-25

努力

最近強く感じるのだが、
21世紀のメディア作品(映画、小説、アニメ)の
東西というか全世界的に言える傾向として、
努力を進めるものはまずなくなってきている。
多くの場合、主人公は生まれながら
・天才
・血統
・全くの偶然、ハプニング
でその主人公の地位を得ているものばかりである。

そのうえ、
いろいろと努力をしているキャラは
えてして、敵もしくは失敗の典型例に扱われることが非常に多い。

努力すれば報われる
Heaven helps those who help themselves

という言葉はすでにこの世では古典なのかもしれない。
現実世界、努力しても報われないと悟っているから
多くのメディア作品にそれが反映されているかもしれない。

とはいえ、これはゆゆしき事態でもある。
結論からすれば、何もしないという発想を植え付けることになり、
人としてのアクションを阻害するものだから。

確かに努力によって手に入れられないものが多くなっている時代だと思う。
目に見えないように既得権益保護、階級差別が制度化されつつあることに
多くの人々はストレスを感じているのだろう。

努力が報われる社会とは
新興勢力に既存の安寧が奪われるということと同義なのかもしれない。
ある意味、安寧への反抗行為とみなされかねない。

でも僕は思う。
仮に現状の安寧を壊そうとも
努力をして地位や手に入れることはあるべきであり、
それが社会の新陳代謝だと思う。
権益を奪うことを責めず、奪われる方に責めがあるべきではないだろうか。

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