音頭をとるという言葉。
リーダーシップをとるという意味とされがちだが実際には違うと感じる。
そもそも日本においてリーダーという存在はいない。
集団農耕民族ゆえに、リーダーというより
みんなが自主的に我田を耕し、繁忙期に互助する関係が出来ていた。
偉いとする立場があるとしたら、長老のアドバイスが
判例法のような採決権限を持ち、どうしてもというときに長老に仰いだ。
音頭をとるとは、リーダーというより
合力して行う活動のタイミングをとるために発声するだけの存在であり、
責任というより調子あわせの勢いのある声が求められた。
そう考えると古来日本は
・我田という責任範囲
・繁忙期の互助の暗黙化
・年配者の判例主義の絶対
・目的に合わせた役割アサイン
とある意味、自治は出来上がっていたとかんがえることもできる。
欧米式の管理方法
役割の国際化
ということが求められるが、
国際基準とて、
有力国が自国のやり方を強いているだけであるのだから、
自国色、
音頭とりというリーダーが存在せずとも自治ができる制度も
認められた仕組みではないかと思う。
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