親みたいな気持ちになって接するということだが、
この現代において、この言葉の意味は正しいだろうか?
親の定義が
生物的遺伝的系統で、
法的保護責任に過ぎない
個人主義の横行において、
親身に接するとはどういうことだろうだろうか?
僕が思う親身は
その個人と個人とが
互いに有価値を持ち、
それぞれの今後の人生の展開において必要という前提条件がなくてはならない。
その上で、互いに無理難題をわかった上で依頼と達成を志す関係。
といえる。
言葉にすると難しく現してしまったが、
実際にこの言葉の意味は
こんな言葉以上に成立させることは難しいことは
多くの人間はわかっていると思う。
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