2010-02-12

演習

inputたる行動を受けてきたら、
社会人として自らoutputする演習行為に身を投じる姿勢でなくてはならない。
いつまでも教えてもらう姿勢でいることを大いに恥じる精神がなくてはならない。

また、教えてもらってその教え通りできないことが出てくる。
それに対して、嘆く自暴自棄になることが多々見受けられるが、
そうではない。
その教え通りできないということは
自分に合わない、自分には別のやり方を見つけ初める演習が求められてきていると
自覚するべきだと断言できる。

教えてくれる人のコピーになる必要はあるだろうか?
世界は技術革新をしている。
毎日技術は進化しているし、
教育水準も上がっている。

教えてくれる人も教えている自体で過去の技術の伝承をしているのである。
それ以上のやり方を自ら見出して、それを後進に示すこと
教えを受けてものには課せられているという自覚をもって、
自ら演習をすべきである。
無駄に教育を受けて続けるのではなく、
受けたinputを自らの演習で加工、付加価値をつけて
後進に示す自覚を持たせる経営にしたい。

たぶん、それはこの社会には相当難しいことと解っているからこそ、
自分の課題にするつもりだ。

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