2011-10-12

画面

戦後の日本人が一番目にしているものといいきれる。
街頭TVに始まり、家庭のTVに普及して、お茶の間という言葉に表れるように
家族で観るものなり、
TVゲームやPCの個人使用、、、そして携帯電話、スマートフォンのように
個人専用、すべて画面 Graphical User Interface といえる。

表現技術
録画、配信技術の進化は止まらない。

僕が創業時に掲げた
「PCを意識しないITビジネス」
を具象する際に、キーボード、内蔵ストレージを否定できても
画面を否定できないのは事実だ。

この先、人間は画面を通して社会、人間関係を作る時代になると
予測しても間違いとは言い切れないだろう。
直接会って話しより、画面のほうが伝わることの多いといえる。

目は口ほどにものを言う、、
画面は目よりすべて見通す
といわれるかも?

2011-10-11

馬鈴

馬鈴薯と書くと、博学な読者は、ジャガイモのことか!ってわかるだろうが、
馬鈴薯の薯は簡略で書くと薯、、芋(イモ)の意味であり、馬鈴薯とは馬鈴のイモ、、馬鈴とは、、、
答えは、
中国のほうでつけられた字をそのまま持ってきたため、
マレーの当て字、、マレー半島から来たイモとか、
放牧馬につけた識別鈴に似てる形のイモ、といろいろと説がある。

漢字にある当て字論理、、、
これもまた、日本の国際化の足かせだろう。
なぜ、こういう意味なのかを説明できないどころか、
他国からの外来語であるのに、その漢字一文字にも意味があるから
到底語源の憶測が立たない。

日本独特の漢字文化も悪くはないが
こういう意味の言葉を正しく理解して、使い説明できる人間がいないのに
正しい日本語なんてものを議論すべきなのだろうか?って感じる。

2011-10-07

観察

観察とは長期的な視点が必要である。
その分、長い目でみた計画が必要になる。
小学校の植物の観察を理科の時間という
1年間の履修行為にあわせて行われてきた。

はっきり言えば、現代社会においては理科の授業ではなくなっている。
植物の生育などは、ネットで無料配信の早送り動画や他の植物のことは
容易に知りえてしまうのであり、1年間、観察し続けることの意味につながらない。

僕はこれは理科ではなく、洞察力の観点の訓練と捉えるべきといいたい。

長期的にものの移り変わりをみることは
なにが変わったのか
なぜそうなったのか
いつそうなるのか
を読み解くこと、、洞察力につながるといえる。

具体的には
・朝顔のツルが、手前の支柱に巻きつきはじめた
・これは手前のほうが日陰になりにくい
・伸びるタイミングは日の出から数時間のようだ
ということを読み取り考えることこそ、観察の真髄といえる。

ITの繁栄で知っていることは武器にならない。
なぜそうなるのかを
長期的な視点による観察という視点で
知っていることより、こうなるという予測、法則を導くことがこれからの
社会で生きていく武器といえる。

詰め込み教育より観察、洞察、考察の時代になってきたといえる。

2011-10-06

指標

市場経済では、類似したものが多く出回る。
消費者側はその類似したもののよしあしについて
明確な基準を求めたがる。
強いては、その基準、指標がないから商取引で損をするまで言い出す。

ではその声にこたえて、公の機関が、指標を出せばどうなるだろうか?
類似品メーカーサイドからすれば
自分の製品こそいいものと思っているのに
低い評価を受けると
製品を熟知していない公の機関による、虚偽、捏造と騒ぎ
営業妨害といい始める。

一般消費者は指標をもとめ、
メーカーサイドは自分こそと思う状況下において
第三者が介入するのはどうだろうか?
どんどん泥沼化するだけのような気がしてきた。

指標なんてものを求めたり
その指標への絶対評価というものに従うことは
結果的に不幸の連鎖になるだけだろう。

自分で判断するのであって、
市場にものがあふれている以上に
もっと情報収集、製品分析をこなすべきある。
そしてその情報はあまり他人に共有すべきではない。

指標軸を他人にみせることは、
盲信者と責任転嫁の無能者を育成する温床になるだけだから。

自分で自分の責任を取れる環境づくりのために
他人に思いをいうべきではない。

2011-10-05

歳時

歳時とは、一年のうち、その時々、つまり四季折々というほどの意味。
日本の四季を前提にした言葉であり、
歳時記というと俳句の季語をまとめたものである。

最近思うのだが、四季って現代成り立つのか?
猛暑、冷夏、暖冬、厳寒、という言葉が飛び交うこの状況において
四季折々という意味がもはやないと言い切りたい。

さらに、空調器具が発達したために
部屋内温度の一定化、対しての外気によるヒートアイランド現象という
自然的
人工的
にすでに歳時の概念は薄れていると思っている。

暦上の季節があっても、生きている今がその四季のそれに当てはまるのか
よくわからなくなっているのではないだろうか?

、、、、でも考えてみれば
季語自身も怪しく、

天の川       秋の季語
陽炎(かげろう)  春の季語

という風に、昔の四季も今のように狂っていたでは?
と感じとれるふうはあるのだが、、  

2011-10-04

台頭

ITの先端技術のひとつでもあるウィルスソフト。
ある技術者と話して、
僕の観点からすれば、結局、自然の摂理に近づくと感じた。

ウィルスソフトは
ライオンのボスが変わったときと同じ行動をとるように組み込まれている。
どういう意味かというと、
自分の領域内に前のボス、その遺伝子を有するものを排除することから始まる。
ウィルスソフトであれば、
そのコンピュータにインストールされたときに一番初めに
ウィルス認定のロジックを通過するのは
これまでインストールされていた他社のウィルスソフト、その派生ソフトであり、
そこ排除から処理が始まる。

ライオンであれば、
ボスの地位を新しく手に入れたオスは
前のボスを追い出す、、場合によっては殺すだけでなく
そのボスの血を引く仔ライオンをも殺すそうだ。
一般人の価値観からすれば、残酷かもしれないが
仔ライオンが新しいボスに殺されることで
母ライオンはすぐに排卵を促されるそうだ、
より強い遺伝子を残すための摂理のようだ。

新たな力の台頭にとって、
一番初めの敵は
自分の旧世代であること、
それは地球上すべてのもの(creature)にとっての運命と感じた。

2011-10-03

国旗

多くの国の国旗で三色を採用している。
それぞれの色に意味を持たせている。

人間 3 という数には思い入れがある。
数学的には、多角形の基礎である、三角形
政治学的には、三権分立
など、安定、バランスの象徴とされる。

また色は人の感情、思いの暗喩が隠れているので
1つに傾倒せず
2つに分裂しない
3つでバランスさせる意味という意味になるだろう。

国という存在を象徴する代表は国旗であり、
この国旗が国民の思いの象徴だといえる。

政治家が国旗に一礼したかどうか
教職が国旗掲揚を許さない
とか、問題になっているが、
その本質は
日本国民にいられること
日本国土に住んでいること
を国旗というという具象に敬意をもつことだと思うのだが、
本質的な思いをなんか、日本人は履き違えていないのか??って思ってならない。

国粋主義というより、
この土地に住まわせてもらっている先人、土地神への謝意の念は
日本古来からで誰にもあるべきだと思うのだが。