2010-10-12

車格

車の排気量、ボディーサイズ等から
ナンバープレートの格付けで分類する基準。

昭和のころまでは
それにより、社会的ステータスを暗喩していたくらいものであったが、
自動車価値の変化、
所有する目的が用途に特化しはじめたり
都市交通の発達で必要性がなくなってきて、
現在では、社会的ステータスとの紐づきは薄れつつある。

だから、
軽車両と大型外国車において

軽車両からすれば
「大きいのだから、道を譲れ」

大型外国車からすれば
「軽のくせに、どけ」

と対等に言い合うが、それぞれに理があるように感じる。

僕個人からすれば、
大型外国車は所持に多くの税金を払っているのだから優先されていいと思う。
それゆえの車格による税率だと思うが、、、
現在の日本の個人主義、狭量の庶民レベルでは
そこまでの論理展開は難しい世の中だと感じているので、
議論もできないのかとあきらめてはいるが、、

2010-10-08

同義

同じであるということ。
同義である立証をするということは
状況にもよるが、ブレイクスルーになることもある。

多くの場合、
それぞれのものが独立、別個であるという認識である。
対して、別個、相手と違うと思っているものを
同じであるということはかなりインパクトがある発言になる。
だからこそ、同義とされる場合に
その認識から新たな共感性、共通状況をもとにいろいろと考えれるようになる。

2000年代までは
個別、カスタマイズ化で
個別の付加価値をつけることを求めてきたが、
最近の傾向はデフレもあいまって
同義を効果的に考えるような思想が強くなってきている。
同じであることに
自分のアイデンティティーを否定される嫌悪感もあるだろうが
同じとみなされてしまうこと自体に
その事実が客観的にみて、大した付加価値を有していないこと
何を持って同じとされるかのポイントの把握をもって
同義の効率化
オリジナリティーの再定義が必要になるだろう。

2010-10-07

寄付

善意をもって慈善団体に見返りなき金銭譲渡が寄付とされるが
それはこの時代においては責任放棄、慈善より偽善と感じる。

あるべき姿として、
その金銭の使用細目、運用実績を指示してこそ
市場経済においてもっとも効果的であるといえる。

慈善団体が必ず善人だろうか
慈善団体が善人としても購買先が市場価格を提示しているか
この情報は寄付後のトレーサビレティーで追うことができない。
いわば闇になることが多い。
善意なのに、闇であるという言葉遊びになりかねないような
実態はいかがなものだろうか?

市場経済を考えれば
寄付より、
その金銭を使って
有効需要を創設することに投資することこそ
有益である。

寄付するくらいの富を得る才覚があるのだから、
その寄付予定金を使って何か経済をまわすことに
知恵を使うべきである。

お金をだしたから、という認識には全くありがたみも価値もないといえよう。

2010-10-06

迷惑

迷惑をかけるという概念は主観なところが多い。

自分では相手に迷惑をかけていると思っているときは
実は相手は迷惑という認識ではないことが多い。
対して、相手から迷惑を被っているときは
相手は迷惑をかけている認識がないことがほとんどである。

迷惑であることとは、
他人の権利に抵触していると考えることができるが
ある意味、自分の権利の正当行使をしていると思い込むと
自分の行いが迷惑とされることが迷惑と捉えることにもなる。

そう捉えると
個人の尊重、自己主張を通すという
あたかも自由主義的な発想は
いかに他人に迷惑をかけられるかっていうことにもなる。

まさに
「勝てば官軍」
自分の思いを突き通せば、結果それが是となる社会かもしれない。
いや、そもそも歴史的に考えても
迷惑を根拠に自己主張してきた強者が社会を作っていることを考えると
迷惑をかけないという発想すら、
弱者として押し付けられた論理なのかもしれないと思うことが多い。

2010-10-05

指導

「こんなところから指導しなくてはならないのか!」
という言葉が出る組織、
それは既に組織として機能が破綻している。

多くの大手企業は
十分教育されていているはずの新入社員を
数ヶ月かけて新人研修を行う。
あたかも、何も知らない人間のように。

そこが日本企業の強さだったかもしれない。

確かにそれ相当の学力がある社員を入れたかもしれない。
しかし、それはそれぞれ個々が会社の利益とはまったく別の分野で
違う価値観の先人の教えで修めてきたものであり、
会社、企業からすれば、その組織色にあった価値観に
再指導をしなくてはならない。
学生時代できたから、優秀ではなく、これから、そしてその組織内で
評価されるべき行動をして始めて評価されるのである。

大きく言えば、会社、企業の粒度だが
最近の社会的稼働状況からすれば
チーム、プロジェクト、タスクフォースという
極めて細分化された組織体においても
指導が必要である。

一から指導するということは面倒というより
教育と同じ、洗脳行為を施し、
構成員においての共通価値での成就を狙うべきである。

2010-10-04

否定

日本では、
ネガティブでよくないイメージをもつ言葉かもしれないが、
僕は思う。
否定こそ、自我の表明ではないかと。

否定すると言うことは、
定まったことへの異を唱えることであり、
少なくても、そこに2つの見解が存在することになる。
否定される見解と否定する見解とである。
(否定するが、その根拠がない愚は対象としない)

そして、否定する側に立っている時点で
自分の見解が存在しているといえる。
否定しなかれば、その存在はいてもいなくていい存在とみなされることになる。
定説とされる側に意思を持っていようが、埋没されるのだから。

スキルアップ、地位アップという
自分としての存在の向上を求めるならば
まず否定する立場を前提条件で考えてみること。
それにより、
否定すべき、自分の思う見解が解るし、
もしその否定より肯定になったしても
より深い考察から、今までの見解より磨かれた見解を自論として持つことができることになる。

肯定して考えることでは、
付加価値、自己存在の優位性は見出せないのである。

2010-10-01

忘物

忘れ物をするというのはどういうときだろうか?
ふと考えてみる。

出かけるときに、服を着忘れることはないだろう。
靴をはかずに出かけることもないだろう。
目が悪い人がメガネ等のかけずにでかけることも少ないだろう。
でも、筆記用具や書類等は忘れてしまう。

これは、たぶん出かける寸前に
今の自分に必要なものを自分の理解できる範囲で考えてしまうからである。
そうなると、出かけるのに必要のない行為、ものはついつい忘れてしまう。
ちょっとこの先のことを考えれば、
忘れていることに気づけるのだが、
出かける際の慌ただしさで忘れてしまう。

その対策として、僕は習慣づけが重要と思っている。
出かける前に、出かけ先での行動の考えてみる。
そうすれば、その行動に必要なものが見えてくる。

ほんのちょっと、次の行動をシミュレーションすることが
重要なのではって感じている。