仕事=事務=頭がいい
わけではない。つくづく感じることだ。
事務がうまい人、
効率よく仕事をこなす人が
頭がいいと思われがちだが
必ずしも、いや得てしてそうではない。
事務の多くはルーティンワークである。
決められた時間、範囲、行動をすることが求められる。
その条件下でいかに成果をあげるかが醍醐味といえば醍醐味かもしれない。
しかし、それではそれまである。
決められた枠組みの中でしかない。
頭がいい要素のひとつである創造的なな発想にはなかなか結びつかない。
創造的な活動の前提として、
既存否定が現代では求められる。
なぜなら、物のあふれているこの時代、
何かを否定することがないと、新しいことを始められない状態になっているからだ。
決められた枠組みの中で最高のパフォーマンスを出すことを評価するより
新しい概念を創設する気概や発想こそ
今後の付加価値を生み出す頭のいい活動だといえる。
多くの場合、
新しい概念は理解されず
事務のような当たり前の概念を評してしまうところに
日本人の発想力の弱さを感じてならない。
当たり前を当たり前ってなんかおかしくないか?と言い切れる
気概はないものかと。
2010-08-18
信義
嘘の許される範囲と解すべきだろう。
いかにも、信義という言葉を正当なきれいな言葉と思っていても、
信義という表現が使われている以上、
現実社会に存在が確認できていなく、
それの事実をいかに存在しているかのように見せる嘘を突き通せるかが
信義の大きさだといえる。
信義という現時点における嘘を
・今までの実績
・今回の存在させるまでの実現可能性
等の担保行為によって、ありえない価値を見出して信用してあげるのである。
「嘘をつくことは悪いことです。」
「相手からの信用を得ましょう。」
市場社会では無理と思うべきである。
現時点であり得ない虚構をいかに実現させるか
そのために、見えないものを見えるようにすることは
ある意味、だましているという認識をもつべきであり、
そのだましているという自覚、自戒の念をもって接することが
これからの実現させるための原動力、そしてサービス品質の根拠になるのではと感じる。
市場は性悪説。
だからこそ、自らが悪、そして他人も悪であると思えば
信用の意味が互いが互いを存続させるための必要悪と感じてくると思う。
いかにも、信義という言葉を正当なきれいな言葉と思っていても、
信義という表現が使われている以上、
現実社会に存在が確認できていなく、
それの事実をいかに存在しているかのように見せる嘘を突き通せるかが
信義の大きさだといえる。
信義という現時点における嘘を
・今までの実績
・今回の存在させるまでの実現可能性
等の担保行為によって、ありえない価値を見出して信用してあげるのである。
「嘘をつくことは悪いことです。」
「相手からの信用を得ましょう。」
市場社会では無理と思うべきである。
現時点であり得ない虚構をいかに実現させるか
そのために、見えないものを見えるようにすることは
ある意味、だましているという認識をもつべきであり、
そのだましているという自覚、自戒の念をもって接することが
これからの実現させるための原動力、そしてサービス品質の根拠になるのではと感じる。
市場は性悪説。
だからこそ、自らが悪、そして他人も悪であると思えば
信用の意味が互いが互いを存続させるための必要悪と感じてくると思う。
2010-08-17
回顧
人生における転機は
だいたい、回顧して初めてその時が転機だった感じるものだ。
そして、自分が転機だと思って行った行為の多くは
転機というよりも、その時の思いの延長上の方向でしかなく、
転機と言うものではないこととも回顧するものだ。
自分は決してうまく行っていると思ったことはないし
かなり損をしていると思っている。
性格上、社会情勢上、の要因でかなり不幸と感じることもある。
しかし、それは他人から見れば
そんな大変な経験をしている
普通の人ではそこで動くことはできない
という話を受ける。
そう回顧して思うと
嫌な思い出 = 貴重な経験談
小さな結果 = 投げ出さずに小さいながら結果をだした
成功 = 不幸への入り口
成約 = 足枷の始まり
と自分の思いと反対の評価してもらえることもある。
自分の思いを回顧してみる。
それを第三者に評価してもらう。
それで新しい見解が見いだせることもあるのではないかと。
だいたい、回顧して初めてその時が転機だった感じるものだ。
そして、自分が転機だと思って行った行為の多くは
転機というよりも、その時の思いの延長上の方向でしかなく、
転機と言うものではないこととも回顧するものだ。
自分は決してうまく行っていると思ったことはないし
かなり損をしていると思っている。
性格上、社会情勢上、の要因でかなり不幸と感じることもある。
しかし、それは他人から見れば
そんな大変な経験をしている
普通の人ではそこで動くことはできない
という話を受ける。
そう回顧して思うと
嫌な思い出 = 貴重な経験談
小さな結果 = 投げ出さずに小さいながら結果をだした
成功 = 不幸への入り口
成約 = 足枷の始まり
と自分の思いと反対の評価してもらえることもある。
自分の思いを回顧してみる。
それを第三者に評価してもらう。
それで新しい見解が見いだせることもあるのではないかと。
2010-08-16
人材
人間は人を集めるときに、優秀な人材を求める。
でもこれは本当にそうだろうか?
少し俯瞰してみよう。
業務の標準化、プロセス化で人的ミスを廃絶するということは
個々人のクリエイティブな優秀さではなく、オペレーションの忠実性を求めている。
新しい企画、運用を立案しても
既存価値への固執、および成功体験から新しいことを行おうとする者を否定する。
あまりにも対外的に有名になってしまうと
既存の者の評価が相対的に下がるために疎ましく思う。
結果として優秀とされる人材が組織に入っても
能力を十分に発揮できなく、
正当に評価されないという思いを持ってしまう。
本来、あるべき能力主義は
所有と経営の分離で
「好きにやってくれていい、その代わり結果を残せ」
という前提、経営たる業務に口出しをしないことが求められる。
採用する側の都合のいい人材
(思うがまま、言われた通り、出しゃばらない)
を個人能力主義の市場から手に入れようと思うことは
論理的に破たんしていると僕は感じている。
でもこれは本当にそうだろうか?
少し俯瞰してみよう。
業務の標準化、プロセス化で人的ミスを廃絶するということは
個々人のクリエイティブな優秀さではなく、オペレーションの忠実性を求めている。
新しい企画、運用を立案しても
既存価値への固執、および成功体験から新しいことを行おうとする者を否定する。
あまりにも対外的に有名になってしまうと
既存の者の評価が相対的に下がるために疎ましく思う。
結果として優秀とされる人材が組織に入っても
能力を十分に発揮できなく、
正当に評価されないという思いを持ってしまう。
本来、あるべき能力主義は
所有と経営の分離で
「好きにやってくれていい、その代わり結果を残せ」
という前提、経営たる業務に口出しをしないことが求められる。
採用する側の都合のいい人材
(思うがまま、言われた通り、出しゃばらない)
を個人能力主義の市場から手に入れようと思うことは
論理的に破たんしていると僕は感じている。
2010-08-13
謙遜
あまりすべきではないかもしれない行動かも?
日本以外では謙遜という行為、概念がない。
賞賛に対して、ゆるい否定をするような好意より
賞賛に対して、ありがとうといったほうが喜ばれるといえる。
そもそも、
敬語表現がままならない現代において
より使用方法が難しい謙遜を使いこなしているようには感じられない。
へりくだるという表現を理解しているのだろうか?
へりくだることは自己否定ではない。
それを理解せずに謙遜をしたつもりの例をあげるなら、
「君に任せてよかったよ。感謝させてもらうよ!」
という言葉に対して
「自分なんか感謝されるに値しません」
は謙遜ではなく、むしろ任せた人への選定ミスのようなイメージを与え
かえって印象が悪くなってしまう。
本来あるべき表現としては、
「今まで能力を発揮できずにいた自分にチャンスをくれたことに感謝します」
だと言える。
はっきり言おう。
謙遜をウィットのセンスと同じだ。
相手の言葉をうまく気の利いた言葉でカウンターが打てるかどうか。
キャラ、センス、経験がないのならば
下手に謙遜せずに、素直に答えよう。
そのほうが相手にとっても素直な気持ちでいれるのだから。
日本以外では謙遜という行為、概念がない。
賞賛に対して、ゆるい否定をするような好意より
賞賛に対して、ありがとうといったほうが喜ばれるといえる。
そもそも、
敬語表現がままならない現代において
より使用方法が難しい謙遜を使いこなしているようには感じられない。
へりくだるという表現を理解しているのだろうか?
へりくだることは自己否定ではない。
それを理解せずに謙遜をしたつもりの例をあげるなら、
「君に任せてよかったよ。感謝させてもらうよ!」
という言葉に対して
「自分なんか感謝されるに値しません」
は謙遜ではなく、むしろ任せた人への選定ミスのようなイメージを与え
かえって印象が悪くなってしまう。
本来あるべき表現としては、
「今まで能力を発揮できずにいた自分にチャンスをくれたことに感謝します」
だと言える。
はっきり言おう。
謙遜をウィットのセンスと同じだ。
相手の言葉をうまく気の利いた言葉でカウンターが打てるかどうか。
キャラ、センス、経験がないのならば
下手に謙遜せずに、素直に答えよう。
そのほうが相手にとっても素直な気持ちでいれるのだから。
2010-08-12
累積
思考の原点は知の累積とその活用である。
蓄積ではなく、あえて累積としよう。
ただ蓄えるのではなく、重ねるように積むことが重要である。
知っているということでは意味がない。
まして、知っていたという、過去形つまりリアルタイムの知を
使えないのでは、知識をもっているだけでいざ使えないのでは
全くもって意味のない状態といえよう。
考えるということは
・問題意識を持ち
・今まで持っている知識を検索し
・解答に導くために自発的な行動をとる
と定義すべきといえよう。
知的好奇心で
多くの人間は知を手に入れたが
実際にはそれを考えるという行為に昇華させてはいない。
知っているということで満足というべきだろうか。
知った上で、
その知識を問題点にぶつけて
解答たる新しい付加価値へ高める行為がなくてはならない。
論理的に考えれば、その新しい付加価値もまた知識であるのだから、
考えなければ、知識は全体として枯渇する。
ただ知るのではなく
累積を機能させるようにして
’考え’をめぐらせることにもっと注力すべきと今の時代に思う。
「頭がいい」って知っているということとは違うでしょっと。
蓄積ではなく、あえて累積としよう。
ただ蓄えるのではなく、重ねるように積むことが重要である。
知っているということでは意味がない。
まして、知っていたという、過去形つまりリアルタイムの知を
使えないのでは、知識をもっているだけでいざ使えないのでは
全くもって意味のない状態といえよう。
考えるということは
・問題意識を持ち
・今まで持っている知識を検索し
・解答に導くために自発的な行動をとる
と定義すべきといえよう。
知的好奇心で
多くの人間は知を手に入れたが
実際にはそれを考えるという行為に昇華させてはいない。
知っているということで満足というべきだろうか。
知った上で、
その知識を問題点にぶつけて
解答たる新しい付加価値へ高める行為がなくてはならない。
論理的に考えれば、その新しい付加価値もまた知識であるのだから、
考えなければ、知識は全体として枯渇する。
ただ知るのではなく
累積を機能させるようにして
’考え’をめぐらせることにもっと注力すべきと今の時代に思う。
「頭がいい」って知っているということとは違うでしょっと。
2010-08-11
秘伝
情報開示を求める世の中は
実は品質低下に繋がっている。
多くの技術において、
秘伝とされるものを開示させていこうとしているが、
それは秘伝ゆえに保たれた品質低下を招いている。
多くの人の目に晒されて、多角的な視点で悪いところが改善されるから
いいことだと世間はいうが、それは大きな間違いである。
悪いところは本当に悪いのだろうか、
感覚も経験もそして責任感のない人の意見に晒されて
必ずしも正しい判断がされるとは限らない。
むしろ、思いつきや偏った思想を強いられることになる。
具体的に言えば、
おいしいとされた料理店の他店舗化は
秘伝のオープン化であり、それが必ずしもうまくいかず
同じように仕事をしたとしても
「味が変わった」
「本店の味と違いすぎる」
なんていわれリスクになる。
また、付加価値ってものはその秘伝に他ならない。
情報開示をしても、付加価値にあたるものを
開示すべきではない。それを真似られて、自分たちの存在意義が危ぶまれても
世間の言い方は
「情報開示したのは自分たちだし、真似されるくらいの技術だったのだろう」
て評されるだけである。
個人情報保護 VS 情報開示義務(ディスクロージャー)
と情報に対しては、多くの矛盾にも似た論争が尽きない。
秘伝という神秘性に魅せられて世論からの開示要求がくるかもしれないが
秘伝とは知的財産であり、それを開示するのは窃盗要求にも近いとみなし、
抗弁したりしたりしないと守れない。
秘伝はそうやって、責任を持って守り続けられた結果なのだから。
実は品質低下に繋がっている。
多くの技術において、
秘伝とされるものを開示させていこうとしているが、
それは秘伝ゆえに保たれた品質低下を招いている。
多くの人の目に晒されて、多角的な視点で悪いところが改善されるから
いいことだと世間はいうが、それは大きな間違いである。
悪いところは本当に悪いのだろうか、
感覚も経験もそして責任感のない人の意見に晒されて
必ずしも正しい判断がされるとは限らない。
むしろ、思いつきや偏った思想を強いられることになる。
具体的に言えば、
おいしいとされた料理店の他店舗化は
秘伝のオープン化であり、それが必ずしもうまくいかず
同じように仕事をしたとしても
「味が変わった」
「本店の味と違いすぎる」
なんていわれリスクになる。
また、付加価値ってものはその秘伝に他ならない。
情報開示をしても、付加価値にあたるものを
開示すべきではない。それを真似られて、自分たちの存在意義が危ぶまれても
世間の言い方は
「情報開示したのは自分たちだし、真似されるくらいの技術だったのだろう」
て評されるだけである。
個人情報保護 VS 情報開示義務(ディスクロージャー)
と情報に対しては、多くの矛盾にも似た論争が尽きない。
秘伝という神秘性に魅せられて世論からの開示要求がくるかもしれないが
秘伝とは知的財産であり、それを開示するのは窃盗要求にも近いとみなし、
抗弁したりしたりしないと守れない。
秘伝はそうやって、責任を持って守り続けられた結果なのだから。
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