よってたかって、人はいつの時代も
敬語ができていないって口にする。
日本語の
尊敬語
謙譲語
丁寧語
は実に面倒である。
そしてこの論理矛盾を指摘しよう。
「あなたは敬語を正しく使えるか?」
これに対して、
○、☓、どっちで回答しても敬語ができていないことになる。
☓つまり、「いいえ」であれば
自らはまだ敬語がが使いこなせていないと自証したことになり
○つまり、「もちろん」と答えれば
その人は敬語、、謙譲の意味を正しく理解できていないことになる。
僕からすれば
日本人が自己表現が下手なのは
この敬語の存在が大きいといえる。
相手を敬い
自分は謙る
ここに自己主張が良くないという社会構造が成り立っているからだ。
また、時代とともに
正しい敬語についても変わる。
以前、このブログでも書いたが
「ありがとう」
はそもそも、敬語ではなく、、ある意味現代語の「超~」「すげ^ー」と変わらない言葉である。
それを正しい敬語と盲信している事自体
日本の敬語表現の底の薄さ、表面的な取り繕い文化が
滲み出ていることがよく分かる。
敬語で騒ぐときは
得てして、自分の脳力が他人に蔑まれている時であるのだから
自分を磨くか、他人と接しないことに注力するほうがあるべき姿といえるがね。
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