もっとも邪悪なものかもしれない。
聖の字を使うと
・聖剣
・聖戦
・神聖ローマ帝国
と、自由、非暴力のはずの神の御前のはずが
その反対の意味でも許されてしまう。
現実世界において、聖剣が斬るのは人間以外ないのだし、
聖戦というもので、対峙殺しあうのは、相手もまた神を信じる熱心な信者であるのに、、
基本、聖の字がつくものは自分たち以外からすれば、邪なのである。
自分の正しさは必ずしも他人の正しさではなく、、
むしろ、自分の神聖さこそ、相手からは究極の邪念洗脳に見えてしまう。
聖なるものという考え方ほど、
他人を不快にさせるものはないというのが
この世の理なのだが、なかなか理解されそうにないなあ。
0 件のコメント:
コメントを投稿