2011-09-28

人選

結局、人は人によって足を救われる。

社会である以上、一人では活動できない。
権力のあるものが、自分ではない人材を選び共同するのだが、
その選ぶ行為に、第三者は責任がない発言を繰り返す。

自分としては有能な人材という基準であれば
今までの経験、関係を重視することで選べば

「癒着、閉鎖的」

この批判を回避したり、新しい試みで
若手に、接点の少ない人選をすれば

「責任性、管理能力」

を言われる。

結局、人を選んで活動することは批判が付きまとうことになる。
この批判に耐えて、答えてということを人民は求めるが、
こたえるための人選では、本来行うべき活動への本末転倒になっていることが多い。

人の活動、活躍への人選行為に
表現の自由は結果的に社会停滞を導くので
規制すべきだとつくづく感じる。
基本的に発言するときには、
もう少し法的責任を持たせることはできないのだろうか?

人が人を選ぶことこそ、社会の基本である信頼の根本であり、
その信頼を批判することは社会そのものへの背徳だと感じてならない。

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