古来では、特定の教義を継承する人々の指針だったが、、
現代社会では、、ただの我儘の自己主張にすぎない。
効率化、一般化において、万人ができるようにしてきた結果が
現代社会であり、そうではない行動は非効率、汎用性のない行動である。
それはある意味、その前提で自分を押し通そうとしているだけであり、
それを流儀という言葉で美化させているとしても
それは自分の非効率の正当性を相手に押し付けているだけだろう。
ストイックにそれを実行しているとしても
大きな客観的な視点に立てば、非効率、汎用性のない行動の無駄な主張といえる。
流儀を押し通せるのは
それを許してくれる周りの環境、、、いやそれを何らかの力で認めさせている強いエゴであり、
社会的な円満状態とはなかなか言えないかもしれない。
だいたい、流儀が出てくるときは必ずそのアンチテーゼを唱える勢力がいて
対峙することになるのだから。
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