2011-09-14

検討

答えはいくつもない。ひとつである。
検討はいくつもしてきた。

これが社会の根本であるが、
現代社会は形骸化、目的と手段の混同が甚だしい。

「答えはひとつではない」
「これまで行ってきた努力を評価してほしい」

この発言をそうだ!と思う人が多く、
この手の人に責任や権力は与えるべきではない。

答えはひとつであり、
検討系のいくつかの検討結果の確からしさは実績である。

この手の考えが横行したのも先人たちの愚かしさゆえでもある。
「なぜこうなったか!」
という要求側の発言が
「答えが1つだからです」
と答えたことから、
考える行為のボタンの掛け間違えが始まった。

要求側は
・検討した確からしさをもって成果、実績とみなしたい
・代替案の存否
を求めた。

しかし、被害者感情、庶民レベルでは
・答えがいくつも必要
・こう考えるまでの努力をみたい

と思い込んだ末路が現実のようだ。

検討行為を
手段とみなせるか、
それを目的とみなすか
要求者と実施者の思いは大きく異なることがよくわかる。

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