日本における秩序であり、この崩壊が日本的な美徳の陰りが来たと言える。
村八分
我田引水
などの言葉が示すように、集団行動をしないことが悪徳とされる。
それは、田植えや稲刈りという行為が集団行動であり、
他人の労働力があてにしないと成り立たない社会構造で会ったからだ。
それゆえ、近所から信頼を失うことが本当に収穫量に影響してまさに致命的な問題になりかねないのであった。
だから、近所付き合いが重要であり、その秩序があった。
現代は、狩猟民族のような生活が多くなり、
能力主義=個人の優位性が何よりも尊ばれる。
近所の人たちはあてにする労働力どころか、権利掠奪者になりかねない訴訟相手になる場合もある。
それゆえに、農耕時代の秩序は難しいものとなっていた。
しかし、ある意味、農耕は所有、占有しない、共有前提であり、
みんなで使い、みんなで享受するという概念であり、
今のクラウド、フリー、シェアと似ている。
温故知新、もしかしたら、この先、この農耕的秩序が復権するのではないか?
いや、させるべきだろうと思うのは僕だけだろうか?
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