現代社会、、、
非戦闘状態、個人能力主義、ITの台頭において
信頼という意味は有名無実なものになっているのだが
多くの人間はその事実を認識することも認めることもできないだろう。
信頼は交友、好意とは同義に扱うことはできない。
信頼の前提条件として、
自らの存在意義、理由と
信頼する相手の存在意義、信頼たる根拠が必要である。
自らの存在を認めてもらい
相手の信頼根拠が自らの存在に不可欠な要因があり、
相手に委ねることが信頼である。
だから、信頼関係は補填的、対峙的な関係でなくてはならない。
同じ行為はできない、
相手の行為に自らを委ねる覚悟がいる。
戦時中だとその信頼で自らの作戦遂行をすることになる。
一般人が読むことが少ない、隊長手引き(captain note)にも
信頼=trustの定義に、そう言及されている。
自分の背中、もしくは銃撃の中の援護射撃には
その生命を守ってくれる関係がないとならない。
本当に必死の世界である。
しかし、現代社会において
とりわけの個人能力主義においては
信頼という言葉が逆に相手を不快にさせる。
仕事を丸投げしておいて
「信頼しているから、全部やっておけ!」
自分としては能力を証明するために
必死で行った行為をにべもなく、ITの力等で
すべて再チェック、上書きしてしまう。
頼る側、頼られた側としての思いはどこになるだろうか?
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