2010-06-08

既存

存というものは、、、悪である。
保守とは悪の幇助である。

いきなりと感じるかもしれないが、
社会的、歴史的にみて、新しいことが善とされることが多い。

子供向け番組の多くは既存社会秩序に若者が向かって勝ち取る。

大手企業のシェアに挑むベンチャーを応援する。

新しい技術のよさで、既存技術の問題点を指摘する。

昔の言葉で
「権力は腐敗する」
とあるように、既存は存在悪になる。

既存という概念は
前進がなく、あることが当然になっている概念である。
時代が流転しているのだから、
既存というものは変化をしない以上、
社会から取り残され、その存在だけで社会悪になるだろう。

天下りや老人の溜まり場となっている
既存の権利組織とて、発足当初はそれなりの正当な目的があった。
(確かに発足に問題があったとしても、それが認めれる理由がなくては現代社会では発足できないので)
悪事を行うという目的ではなかったはずだ。

基本的に悪事というものは
今まで行ってきたことが形骸化、異化して発生するものであり、
癌という表現が本当に適切である。

既存はいわば、悪性新生物。
当たり前の存在のようで、実はただ無駄に消費している存在、活動かもしれない。
それを監視、駆除する機能を絶えず進化させて持ち続けることが
組織、社会秩序といえよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿