2009-11-17

立止

立ち止まる。
僕が法と現代社会の乖離を感じる行動の一つである。
立ち止まった前の存在にぶつかった側が前方不注意で罰せられる。
それは、交通およびビジネスの契約にも応用される概念だ。

しかし、立ち止まる方が悪いのではないか?
そもそも、歩道を歩いている以上、前方に進むことが前提あり、
その歩道の途中で立ち止まること自身が逸脱行動ではないかと感じる。
もし、止まる理由があるのなら、歩道から外れて歩く流れのないところに
移るべきだろう。
いきなり、立ち止まってしまったら、後続の存在に失礼だと思うのに
後続の存在が罰せられることになることに欺瞞を感じる。

それは交通だけでなく、ビジネスにおいてもだ。
ビジネスは時間が勝負であるのに、
決断や判断を曖昧にした側より
それを煽った側が煽り方という行為で罰せられる。
煽り方という点で責められて
判断の遅さにより機会損失は全く罰せられない。
価値の流動性や社会貢献ということへの背任だと思うことすらあるのにだ。

このような点について
深く考察すること自身、社会ルールから逸脱しているかもしれない。
一つ言えるとしたら、
権力をもつものが行うルール制定とは既存ルール違反そのものである。
つまり、ルール破りは権力の前では違反行為ではないということ。
たぶん、この手の発想した人間のアクションにより
ルールは変わっていくんだろうなっと思う次第。

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