たぶん、生存本能、社会的な能力が一番伸びる状態。
人間苦労をしたくないから
いろいろと頭を働かせることが多い。
それにより出てくる成果はある意味必死さゆえに有意義なものが多い。
それを導きだした人間はその苦労の怖さ、恐ろしさを体感し
それから逃げたいからである。
皮肉なもので
苦労の結果導いたものを
当たり前のように使う人間の能力は退化していくことが多い。
導かれた成果に対して、ありがたみを感じず
その恐怖の感情もないからである。
そして、人はまた同じような苦労を味わう。
確かに振り返れば、
苦労に対して、悩み行動していた時代はいろいろと成長したと思う。
・コーディングが全く分からずに毎日悩んでいた
・説明資料が相手に全く理解してもらえずに眠れなかった
・実現不可能と言われた案件の責任者をまかされて、悶絶した
それを掻い潜ったときに僕は成長したと思っている。
ただし、他人からすれば、それは成長かもしれないが
その分の対価は生じていると思ってやまない。
それが、僕の不遜や相手への侮蔑だと思う。
苦労した人間は有能な人間にはなるが、
決して、感じのいい人間にはならないと思う。
なぜなら、その苦労もしらない下賤のものと対等に扱われることほど
許せないと思うだろうから。
人間、聖人君子はいない。
それは後世に人間が美化脚色しているにすぎない。
苦労した人間はいろいろな意味で醜くかつ人に見せられないものを
肉体、精神に抱えていると思う。
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