2009-05-18

奥義

学問・技芸の最も奥深いところとされる。
実はこの認識が大陸系たる中国、日本とでは異なる。
奥義に至るのは、
大乗ととらえるのは、大陸系
小乗ととらえるのは、日本
である

大乗とは、みんなでその境地に行こうとすることであり、
人民に無償で教える少林寺や国外に伝播する行動にでるのが、
対して、小乗では、その境地に至らないものには伝えないとしている
一子相伝、秘伝という行為によくあらわれている。

簡単に耳にすると、大乗のほうがみんなのため、
社会的だと思うかもしれないが、そうとは限らない。
その技術が危険性を伴ったり、
その技術がまだ未完成、これから自ら深めていかなと間違ってしまう。
ようなものある。

とはいえ、小乗でも、
閉鎖的、多くの意見を聞かないので
社会的、相対技術的には劣化していくだろう。

奥義というものをどこまでのものを奥義として
大乗、小乗で世に訴えていくかが、匙加減、
まさにその講義がその技術の奥義自身だったりする。

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