2009-05-28

持論

あることに関して前から主張し続けている、その人独自の意見。
思うに、持論と’論’の字を掲げている以上、
論理性、論拠が必要になると思う。

「論拠なんてあるか、ただそう思うからだ!」
って口にする人も多いが、そう思うということの裏には
そう思うようになった、生い立ち、経験、があるはず。
そして、その自分の傾向を探ることこそ、自分自身を見つめることだと言える。

相手の思いに対峙して持論を掲げている人ほど、
自分自身を見ることに対して、怠惰だと思う。
相手自身も自分の意見を相手にぶつけるという行為に出るのだから
その意見の思い、論理性を示さなくてはならないために
いろいろと考えてくる。
その思いを怠惰な発想の持論という壁でふさいでいる。
結局は、当の本人の思いを他人に対して依頼するときに
同じ経験を繰り返してしまう。

自分自身の見つめなおすことにより、相手の論理もまたわかるようになる。
強いては、持論自身も相手の持論とシンクロする可能性が高まる止揚が起きるかも??

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