2014-05-30

濡衣

無実の罪、根も葉もない噂。
でも、なぜ濡衣という濡れた着物がこういう意味になったのか?
調べると、かなりの説がある。

海女の「潜く」行為と「被く」をかけた説
継母の作為説
魔女裁判行為説
実がない、蓑無いから転じた説

などなど、、
どれが本当か全くわからない、、それこそ、すべての説の根拠が濡衣かも知れない。
本当に謎の語源となっている。

それだけ、曖昧な意味を濡衣。
でもそんな言葉を多く使う日本人は被害者体質ということも言える。
濡衣を着せられた、というが、
その裏には、そうさせた、そういう人間とみなす力があるはず、
その濡衣を着せる行為自身に話題を持っていかない。
あくまでも被害者側の思想である。

プロパガンダ、情報戦略という考え方にたつと
いかに濡衣を着せるかを考えることが最善という思想もあり、
そのような考え方すること自体を忌むべきものと思っている日本人気質では
他国との交渉は苦労、損することが多くなるはず。

「話せばわかる」というより
「そちらのせいだ、どうしてくれる?自分たちではないという説明しなさい」
というやり方がビジネス、外交でも目立っていることに気づいているだろうか?!

2014-05-29

奔流

勢いの激しい流れ、、
しかし、現代社会において、
水、、液体の流れに対して、この言葉をあてることはなく、
激流、洪水というだろう。

この奔流という言葉は、時代の奔流という
感覚として使われることが多い。

時代の奔流というと
触れることも
見ることも
できない。

それを感じるのは、自分の思っている定点的価値観が
直ぐに通じなくなるということでであろう。
その期間、どうかわるかが、言い様がない、
まるで、大きな流れに飲み込まれているかのごとく、
それが奔流ということになる。

なかなか、使い分け、注釈のしようがない言葉だね。

2014-05-28

役者

演劇の中で役割を演じる人、、
というが、役割を演じるということであれば、
人間であること=役者 と言える。

人は自分の役割を感じることで、社会を営んでいる。
その役割を演じきることが、社会人として一人前、、かもしれない。
しかし、子供が子供らしくということを求められる昨今。
自分の存在を演じきれるということが難しい。

自分の存在は他人に認められて存在するといえば
その理想を求めて演じることだろうが、
それは大人としてのアイデンティティに関わるという意見もある。

自分自身を演じきるということは
人間が死ぬまで考える課題であり、
自分という役者人生そのものとも言えるだろう。

2014-05-27

畝須

この言葉、どこまでの世代で理解できる言葉だろうか?
うねす と呼び、IME でも変換されるが、
意味は、、、鯨肉の一部でだいたい、喉から前びれの辺り
クビから胸肉あたりである。

今でさえ、鯨肉はなくなりつつある。
鯨肉を日本の食文化というが、
鯨でなくてもその栄養を補給できるようになっているからである。
逆に、日本の食文化がなくなるというが、
粟、稗、については全く食べなくなっているのではないか!
あまり、クジラ肉にこだわるのはどうかなって思う。

僕自身、鯨肉が嫌いなので、なくなっても別に気にしないが
畝須という言葉がなくなることに対してはちょっとさびしい。
もっとも、、畝須という言葉自身すでに現代日本人の中にはなくなっているかもしれないが。


2014-05-26

素敵

心を惹かれる様
とはいえ、敵という文字を使うのに、心を惹かれるって、、

語源を調べると
素晴らしい出来、
出来を、的 で崩して、訳して

素的

その的も庶民の俗的な流行語で

素敵

となったそうだ。

言葉が進化するといういい例かもしれないが、、
めちゃくちゃだといえる。
まして、、、現代人の多くは上記のことを全く理解せずに
素敵という言葉を使うのだから、、
素敵って決して、素敵なものとはいれないね。

2014-05-23

四季

季語としては均等4分割が望まれるだろうが、
今現在の地球規模の気候では
均等どころか、四季という4つすら危うい。

春と初夏、そして梅雨、

を区別できるだろうか?

猛暑、極寒、を夏日、冬日とみなすべきだろうか?

暦は地球の自転、公転で導かれた周期性を認められるが
季節は地域や文化性で大きく異なる。

まして、地球には氷河期が周期的にやってきていて、
今はまさにその氷河期であるのだから、
もっと暑いくなることも地球では起こりうる。

地球規模のほんの一時に今を四季で捉えて
衣食住に旬を持たせる今までの日本文化。
その文化を残しながらも、
生活様式、思考は西洋化をグローバルとしている。

今の日本人は
四季の考え方も気候というより、
ビジネス商戦の意味でしか捉えていないといいきれるのでは?

2014-05-22

一丸

ひとつのまとまりになること。
特に、複数人が結集し、力を合わせて事に当たるさま。
であるが、

勘違いしてはならないのは
民主主義の国家は国家が一丸になってはならないということだ。
それはファシズムだということにつながるからだ。

民主主義の国家は多くの意見を内包しながらもそれを認め合っていくべきであって、
国民のみんなが同じ意見になるということは
一見、民主主義のようで結構、キテいる国家だといえる。

僕は民主主義が必ずいいものとは思っていないマキャベリストであるから、
国策的に一丸にさせることはある意味効用があると思っているが
その前提としての民主主義の否定が必要と思っている。

だから、民主主義を掲げて、国家一丸となってという
矛盾した愚言を耳にするは、
胡散臭い、自己中心主義者の思い上がりに感じてしまう。

自分の意見を通そうとするファシストですって言い切る勇気もないくせに
国家一丸とか口にするなよ。

2014-05-21

逓減

数量がしだいにへること。
現代社会ではまず使わない表現だといえる。
あからさまに、学術表現といえる。

学術の世界の言葉の多くはこういうものが多く、
実社会と離れている事が多い。
内輪言葉になっているのだが、学術、つまり研究機関側の
頭のいい人達からの見解は逆で

「庶民が訳の分からない言葉でしゃべっている」

と言い張る。

実はこれが、日本人がノーベル経済学賞を取れない理由なのだが、、、
この点については、ここで論じるのも、、、悲しいことだなあ。

2014-05-20

贅沢

必要な程度をこえて、物事に金銭や物などを使うこと。
とはいえ、贅沢は相対的な思い込みでしかない。

戦時中の人から見れば
現代人の食生活は贅沢の限りだろう。
逆に、原始時代から見れば戦時中の食生活も贅沢だろう。

贅沢は時代とともにかわる。
贅沢において重要なことは、
どこから、贅沢とみなすかだ。
時代とともにかわるのであれば
今まで贅沢だったものを普通とみなす行為があるはずで、、
その行為を行う人こそ、その時代の覇者といえる。
多くの人が勘違いするのは、
贅沢をしている人がその時代の覇者と思っているようだが、
贅沢品を庶民レベルで扱うもの、
そういう文化価値観を矯正できるものが覇者であるといえよう。
だって、今まで贅沢品だったものを普通と言いきれることって
相当のチカラがなくてはムリといえるだろう。

贅沢というものを操られる存在を目指すのが
男、、、いや漢の夢かもね。

2014-05-19

眼下

見おろす、、、
それから、転じて、見下すという意味になる。

電車の中である女性たちの会話で気になって


今私、派遣社員をしてあげているんだけど、
社員が全然使えないんだよね。


この発言について、どう捉えるか?
社会構造的問題
女性の社会進出
とかいろいろとあるけど、ここは言葉に注目する。
言えることは、
多くの人間が自分以外を眼下に観ていることが多いことに気づく。

これもまた、僕が散々に立証している
社会の能力主義、勝ちの多様化の結果といえる。

特定、ニッチの領域において自分が一番という見解を認めるがゆえ
それ以外の他人を認めない、自分が一つでも勝っていれば
自分が偉いという発想の末路。

これでは、総合的に、状況的な判断ができなく、
職種、業務特性が見いだせない。
その眼下の発想がある以上、
なんで自分が自分の分野以外で、自分が認めない奴らに、、という論理で
労使関係、指揮命令の徹底はできないだろう。

この問題が、今の人手不足の原因であり、
この会計のためには強制力を認めることが必要ということに
社会全体が気づくはいつだろうか?

その点、僕のステークホルダーにはその意義と対応を伝えているからこそ、
新古典的な年功序列が意味をなし始めているが、、

眼下にみたとしても、
その眼下は限りなく深く、目視できない事実、実績があるという概念と恐怖感をね。

2014-05-16

才覚

才能と才覚の違いは?
辞書上の意味での才覚は
すばやく頭を働かせて物事を処理すること。
つまりは、頭の良さ。
反対に才能は技術、技巧という手の良さといえるだろう。

という言葉上の定義を詳しく知らなくても
「商売の才覚がある」
「この分野、習い事の才能がある」
と案外使い分けている事が多い。

言葉は論理的思考の根底なのだが、
言語そのものは感覚的だということを感じてしまうなあ。

2014-05-15

反逆

権威・権力などにさからうこと。
ということは、自由、開放ということ。

反逆というのは、支配的立場からの思いであって
反逆をしている側は反逆という概念ではなく
自由、正当な行為と思っている。

人は自分の今の立場を前提で言葉を紡ぐ。
しかし、実際問題、相手からすれば全く逆の思いでいるということ。
反逆、開放って大事のような表現で使っているが
人間同士のイザコザってこういう認識の違いの言葉表現から
起こるものしか無いとおもうべきである。

2014-05-14

奮起

ふるいたつこと。
勇気・元気をふるい起こすこと。
、、、どういうこと?

奮起するという行為は現代ではありえない。
危険鈍感、
非暴力社会
になっているので。

現代の意味としては、

気持ちを入れ替えて

と同義とみなすべきだろう。
それにより、自分自身を鼓舞させていくという意味で。

しかし、こんな腑抜けた日本国の発想で
グローバルとか口していいのだろうか?
生きるために奮起している抗争状態
人の命を奪わないと自分たちが生きていけない状況だから奮起している
そんな環境下にある世界中の人々からすれば
今の日本の感覚ってどうなんだろうって思ってならない。

2014-05-13

考証

伝承や二次資料などにより広く一般に知られている事件や出来事について、
その客観的な証拠となりうる古い文献や器物を入念に調査することにより、
その事件は実際にはどのようにして起きたどんな事件だったのか、
その出来事とは実は何だったのかを明らかにすること

とても長い説明であるが、
一言で言えば、

過去への思い込みが正しいと正当性をもたせること

自己防衛の行為。
自分たちの思い込みが過去であるいいはることでしかない。

未来がわからないという言葉があるが、
過去のほうがもっとわからないということに現代人は気づかないのか?
いったい、今の歴史の教科書は何度編纂されている?
それだけ、既成事実と思われていることすら、正しく伝わっていないのだ。

逆に、データ分析、シミュレーション技術の発達により
物理的、工程的なことは容易に予想でき、
未来がわかる。

未来がわからない ということはもう過去の言葉であり、

過去はもう正しく伝わらない
未来はある程度予想できる

ということ概念をもつべきだろう。

2014-05-12

根拠

現代社会、、根拠の根拠たるところがブレている。
僕の経験から
「君の言っていることの根拠は?」
と問われ、自分なりに答えたら
「そんなの根拠ではない!」
と言われた。

対して、その人の示す説明についての根拠について
僕から
「根拠の説明になっていませんが、、」
と答えた。

彼と僕とでは、二度と話すことは無いと思う。
なぜなら、根拠というものは価値観の共有が前提であり、
共有できない以上は互いに根拠として認められないからだ。
根拠以前に、、互い存在自身を認めていないからどうにもならない。

現代社会は価値の多様化が認められている。
ということは、自分の思っていることでは相手を納得させることは難しい以前に
自分が相手の価値観にあわせるという工程、思考の準備が必要になる。
しかし、自分の価値観=アイデンティティである以上は
それは困難というかありえない工程になっている。

万人を納得させる根拠という概念で考えるからこそ、
万人にうけない欠陥品になる。
いっそ、根拠という概念を捨てるべきだといえる。
実際問題、根拠ないものが売れているし、
その売れたことにバカどもが持論をあとづけするのだから
根拠などは愚者の発想でしかないかもしれない。

2014-05-09

渦中

水のうずまくなか、
転じて、揉め事の中心。

揉め事を、水の渦と表わすことはとても粋な感じがする。
と同時に、その揉め事というものは渦と同じで
近づくと巻き込まれるという意味も含んでいるのだろうとも感じる。

揉め事というものはいつの時代も残る、いわば人間というより、
生物の本能だと思う。

極めて狭義の回答にむけて、多くの存在が集まるから
水の渦のように、回答の直行できず廻り始める。
廻るからこそ、衝突がおきたり、その近くのものも巻き沿いを食う。

まさに自然の摂理なんだろうな。

2014-05-08

前衛

軍隊における前衛部隊、先頭部隊。敵に対する最前線の意味から派生して、
いろいろな活動分野で最先端(前衛)に立つという意味。

でも、、いえだからこそ、
前衛ということは、一般的に認められていないということといえる。
誰もやりたがらない、誰もその価値をわかりづらい
それが前衛と言う存在。

前衛的と称されている以上、
その存在は社会、価値基準から逸脱しているということなのだろう。
つまりは、市場、社会から見放されているという自覚を持たないとならないという
きつい現実であるということを。

2014-05-07

女工

富岡製糸工場が盛り上がっている。
世界遺産候補になるからだそうだ。

建物とその産業貢献度でのことで世界遺産だというが、、
日本のブラック企業の源流を世界遺産にするというのに
日本人は他人ごとだなあ。

女工哀史
ああ野麦峠

今から35年前にヒットした映画であり、
製糸工場での過酷な労働実態でヒットした作品だ。
プロレタリアート視点での話であり、
多くの人が共感したものだが、、
この事実については、富岡製糸工場と無関係とばかりに話を進めている。
製糸産業界として行ってきたのだよ、女工さんに過酷な労働を。

無関係とみなしているくせに
ブラック企業とか言って
過酷な労働を嫌がる時代になっている、

考えようによっては、
今のブラック企業とされるところも
後の未来では世界遺産ではないが、賞賛されるような文化の国なんだから
なんら恥じることなく今のやり方を貫くことが
ある意味信念となるとなってしまう。

世界遺産って騒ぐ前に
今の日本の礎になっていただいた
女工さんたちへの慰霊の念を記念碑なども
含めて、一連の事実を後世に残す遺産にすべきではないか!

2014-05-02

取説

すでに熟語化している
取扱説明書の略語。

最近の取扱説明書においてはいろいろな取り組みが行われている。
あるものは、分厚くすべてを書いているが理解できない、
あるものは、取扱説明書自身をなくして、動かしながら理解を求めるチュートリアル化、
またあるものは、その機械そのもの中に取り扱い説明書をないぞうさせている
などなど、

僕は逆に根本を正したい。
その製品をなんのために買ったのか?
その目的を達成することができるものを求めて買っているのだから
買う前にその使い方理解しているべきで、、
そうでないもの、取扱説明書を読まないと使えないものって
そもそも、あなたにどんな意味で必要だったの?

2014-05-01

劇薬

激しい薬理作用,
体内蓄積作用がある医薬品で,
薬事法の規定に基づき厚生大臣が劇薬に指定したもの。

さて気になるのは、、なぜ、劇?
薬の効能を表わすに、強い薬、弱い薬というのであれば、強い。
発音的に、ゲキであれば、激 ではないか?

劇的な効能という
まるで劇を見ているように緊張や感動をおぼえるさま。
という意味で使うからだろうか?

薬事法的にも 劇薬 となっているから、、変えようもないかもしれないが、、
多言語からしても、理解に苦しむ表記のような気がする。