そのものの本質。
とはいえ、真髄というものが理解できるものだろうか?
その言葉通りに真髄の髄というものを骨髄、
つまり骨の中ということになる。
それを理解するということは、痛み、、いや死を伴うであろう。
自分の骨髄を見ることなど、死と隣り合わせの状況であり、
他の骨髄であれば、それは基本、死んでいる状態であろう。
死んだもので本質?
生きていてこそ、その存在があるのではないかと思う。
という論理であれば、真髄というものを理解するということは
ある意味無理なことと割り切って考えること、
その上での他と接することが最善ではないだろうかと、、
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