特別な権利、、
一握りの人しか許されない権利。
庶民的な感覚だと、
特権というものを一般の人が持っていない未知の権利と考えて
自分たちには使えないすごい権利という認識をするだろう。
しかし、これからの特権はずばり、
今まで一般の人が使っていた権利を取り上げて
一部の人間に解放する、既知の権利にかわると僕は思っている。
情報公開の普及、個人による容易な情報発信手段の発達で、
未知である状態を維持することは難しい。
どんな権利でも、一度人の目さらされると
欲しがる人が出てくる。
その権利に対して、明確な権利取得条件を付けることは結構難しい。
多くの社会、コンピュータシステムにおいて、
その条件の例外条件、包括条件で運営者が苦しめられている。
だから、誰でも知っている権利なのだが、
使わせないという縛りで、
特定条件を満たすと、縛り解除とするになることのほうがこれからの運営管理になるだろう。
特権というものを付加するのではなく、開放するという考え方は
既に織り込んでいる機能であるために、社会、コンピュータシステムとして
織り込み済みの機能ゆえに整合性がとりやすい。
特権はすでにあるという前提で考えておくほうが、齟齬がないのである。
使う側、、それをお客様とみなして
その享受者たちの利益を抑止しているという見解もあるが、
無理に整合性がとれているかどうかの権利、機能を渡して
論理機能矛盾で反感を買うよりは、
既知のものを解放したほうがその既知のものを享受できるといえる。
使用者、お客様本位の特権としても
その特権が特権として機能できる環境維持することが
本当の意味での特権付与といえると僕は思ってならない。
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