共犯である認識を高めないとならない。
「代表が勝手に」
「代表をやっている奴が悪い」
という日本の認識は国際的には通じないだろう。
代表が行ったことは、それを選んだものたちの責任であることが常である。
日本人にはなじみが薄いかもしれないが
代表が自分を選んだものたちの中から、「死ね」って指名したらそうなくてはならない。
それが、生贄のロジックでもあった。
日本も昔はそうであった。
代表である村長に従い、村八分があった。
上記のことが過去的、非人道的という発想をいう人がいるが
上記ゆえの治安、秩序、責任感で満たされていたといえる。
僕としては、
個人主義というものは間違っていると言い切りたい。
個々の存在意義を貫いたために
それぞれの個々の他人を批判することしか導かない。
自分が選んだもしくは、自分の従う特定のルールに選ばれた存在である代表が
自分の意思とみなして、従順に行動することのほうが、
逆に個々の役割、存在意義が見出せると思っている。
代表権を持つものに抵抗するのは、
僕の歴史観からすれば、もう時代遅れというべきもので
新古典化的に過去のような代表者に従順にみんなで協力しあうのが求められているといえよう。
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