2012-02-03

解釈

思い込み、当人のあてつけのこと。

学生時代の国語の授業で
教師が、
「作者はどんな思いでこの表現を用いたでしょうか?」
なんて、問いかけをしていただろう。

素直に授業を聞いていた僕だが
ある雑誌に、、とある作家が
「自分の作品が入試問題にされた、この表現の解釈として妥当なのは?
 とあったが、自分の思いはその解答選択肢にはなかった」
という文章を読んで、なんのための国語の授業か!って思った。

考えてみれば、国語の授業の解釈の力とされる読解力というものは
実際の社会人においては、足かせでしかない。

若手は自分なりに上司、取引先の言葉を賢明に解釈して、応えるが
相手はその解釈に充分な情報、内容を入れていなく

「そういう意味じゃねーよ」
「もっと空気を読めよ」
「教科書どおりじゃ仕事にならねーよ」

と罵声を浴びせられる。

また、文面どおりに解釈を尺定規に行う役人には、
気持ちがこもっていない批判する社会でもある。

解釈の前提は、論理的表明、表現がなくてはならない。
とりわけ、日本社会の意思疎通の不文律の多さから、
いくら解釈しようとそれが相手の真意でないことを悟る必要がある。

思うに、国語の授業より、
心理学、読心術の授業を取り入れるべき
国ではないかと思ってならない。

0 件のコメント:

コメントを投稿