結果的にマイナス的なものを呼び出す表現になっている。
互助、信頼の意味で
連帯という言葉があったのだが、
現在社会においては
連帯保証人にされた
連帯責任をとらされる
と言葉のイメージは悪い方向に使われている。
多くの人を助けるために、
みんなで個人の苦労を分け合おうという
博愛精神はすでに精神論に成り下がり、
自分はおいしいところだけ
嫌なことは他人におしつけてしまえ
という社会になっている証拠と感じてならない。
犯罪性の大なり、小なりの違いはあるかもしれないが
多く一般的にそのきらいが社会にある事実は認めざるおえない。
連帯の真意が薄れていることを嘆く、批判することは誰でも出来る。
だからこそ、連帯の真意を復権させるような、経営をしなくてはならないと思っている。
連帯する仕組み、責任そして、、享受するありがたみを。
草の根的かもしれないが、それが組織力の根底だと確信しているので。
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