動力の伝達にもちいられる機械要素である。
円の外周にギザギザがついて、
動力の方向を自在に変える優れた発想だと僕は思っている。
現在では異化して、
社会の一部になることの暗喩で使うことが多々見られる。
「自分は社会の歯車になりたくない」
「会社の歯車として、働いてきたのに」
なんて発言をしていることを耳にするが
そんな発言をしている人ほど、
歯車であるわけない。
上記のように
動力の伝達が要素であり、
社会、会社で動力を伝送ロスなく伝えるかという視点に立てば
役に立っていないとしか言いようがない。
人間界での歯車になるということは
誰から伝えられたものを、
目的になる人に的確に伝える力をもつ存在でなくてはならない。
人として、
他人からの思いの伝承を後進にうまく伝えるくらい立派な人になれている人が少ないからこそ、
歯車になれた人は賞賛すべき人と僕は感じる。
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