よくわかるように述べること。
ときあかして教えることであるが、
それはとても客観すぎる表現に感じる。
説明とは、
自分の信じる論理は相手に訴えることだと思う。
「一般的なことを説明するのは自分の信じる論理っていうのはどうか?」
って言われるかもしれないが、
説明する以上、
その相手はその一般的なことを少なくても熟知していないから、
説明という行為になっているわけであって、
相手側にとっては一般的はないということになる。
つまり、一般的ということすら、持論に過ぎないのである。
そう考えれば、
説明をするということは
相手に自分の言葉が届くことと認識すべきで
正解を言うことではないといえる。
極論でいえば、正解なぞなく、説明を求められた時点で
正解ではなく、相手が納得する持論をぶつけられるかどうかが
今回の正解になるといえる。
説明が下手とかの話を巷で耳にするが
説明が下手という言葉よりも
話し手の持論が自分には理解、共感できるものではない
という結果を導いているのではないか。
聞き手が数多いれば、その数多に対応した説明方法があり、
それをどう意識するかが、説明力だといえると感じる。
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