意味的は
私法上、相対する二人以上の合意によって成立する法律行為。
債権の発生を目的とするもののほか、身分上の合意や物権的な合意も含まれる。
とされている。
欧米は契約社会とされている、つまり同意されている社会とされる。
でも本当だろうか?本当ならば、背理の訴訟社会といわれることはないのではないだろうか?
思うに人間に合意なんてありえない。
価値観、自己主張、他人を思いやることに注力されていない。
思いやりが重要っていう主張も、思いやっている自分が好きなだけと言い切れる。
契約という行為において、重要なことはいかにその契約内容をもとに
自分の言い分を主張できるか、それが今重要といえる。
契約が自分たちを護ってくれるという、前代的な発想はもう通じない。
契約をもとに、いかに自分の主張を貫くか、その発想が求められる。
自分が自分がという発想を好ましく思わない日本文化と思われるが
その傘下にいる庇護者どもは、上の人間がもっと主張してくれないから
自分たちが日の目をみないって思い込んでいるのも、
日本文化といえることを軽視してはならない。
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