2021-01-13

一口

ひとくち、、、いや、「いもあらい」と読む場合もある。
一口坂という地名に使われる難読である。
一口という一般的な意味での
・全部を一度に口に入れること
・ちょっと飲み食いすること
とはいかない難読ってなんかね。


2021-01-12

回帰

一般にはもとの位置または状態に戻ること、あるいはそれを繰り返すこと。
原点回帰、回帰分析などいろいろと専門的な言葉として使われているが
回帰は身近に起きている。
今の社会ってどう見ても1970年代に回帰しているようだ。
・商業施設が夕飯時には閉店時間を迎え
・買い物に買い物かご、買い物袋を持参し
・夕飯時に家族がそろって食事をとる
、、COVIDのせいで苦しんでいるというが
これって日本人が求めていた姿ではないか!
・残業を減らし
・エコな生活
・家族団らんのライフスタイル
を目指すために、働き方改革をしていたような、、、

目指すべきものが過去回帰だったのに、
その生活をいざするとしたら、耐えると言い出すこの社会。
そう考えると、働き方改革って自発的には無理だったというか
COVIDこそ真の働き方改革、回帰手法だったのでは?

2021-01-08

志願

あるものになることを望み、進んで申し出ること。
現代において、この言葉は軍事用語になっている。
志願者って言えば、だいたい入隊の時にしかいわない。
同じように社会組織に入りたい人たちは入学、入社志望者というから。
あえてそうしているような気がする。
だって、入学希望者が学校に提出する書類は願書を出願するのなら
志願者なはずなのに、あえて志望って言い換えることに作為を感じるね。


2021-01-07

二大

2つの巨大な勢力に抑えられている、寡占状態。
・論点がはっきりしている
・白黒つけやすい
二大政党制などに代表されることで知られる。
しかし、それは2勢力が均衡している状態なので優劣の差が微小なことが多い。
その微笑な差でも差として認めるべきとしてきたのが
多数決、、民主主義だった。

僕からすればそれは過去形に思う。
・微小な差を認めない
・自分たちもそれなりの力を持っているから従わない
ということを言い出し始めている。
こうなると、多数決という決が決まらない。
渾沌なことになる、、、なっている。

ある意味、多数決、民主主義は二大になった時点で衰退に入っていた。
民主主義の成れの果ては、衆愚
そして、その後は、、マキャベリの君主論どおりになっているねえ。

2021-01-06

童心

こどもの(ような)純真な心。
ふと、思う。
子供って純真なんだろうか?
子供の心ってなんだ?
定義における子供の概念が変わりつつある現代社会。
・犯罪の低年齢化
・大人ぶる子供の発言
・子供の人権という言葉で守られ調子にのる作為的行動
次世代を託すと言いながら、納税や社旗貢献にならない人材も多く見受けられる昨今。
子供を守るべきか?
子供を守るからこそ、少子化になるのでは?
子供を増やすというなら、もっと人間を雑に扱え。
出生率の高かった時代、今のように子供を守っていたか?!
栄養、衛生、そして、地位が底辺だったからこそ
自ら生き残った者だけが勝者になる社会。
その思いこそ純粋な童心なのでは?


2021-01-05

同調

他のあるものに調子をあわせること。他と同じ意見・態度になること。
ある意味、自分の意見ではなく他人のせいにして利権を得ようとする発想だ。
ふと身の回りをみると思った。
駄々をこねる子供と知的とされる文化人が同レベルであることを。

子供は自分の欲しいモノを得るために
「みんな持っているから、自分のほしい」
っていうが、持っている人などほんの一部だったり、
それを手に入れた子供はそれなりの対価を支払っていることがわかる。
これは、子供の駄々でしかないとわかりきっている。
対して
知的とされる文化人がマスメディアで
「アメリカでは、、」
「諸外国で対応しているので、なぜ日本政府は」
と言っている。
バカか、、駄々をこねる子供と同じではないか。
アメリカと比較するが、日本ほど皆保険制度がなかったり、貧富の差が大きい。
諸外国というが、比較している外国はほんの一部だ。
多くの国はそんなことできていないし、それを行うためには代償がある。

文化人はリスク無く、外国の成果を説明しているだけ。
自分では何もしてないで、気になる事実を切り抜いてしゃべっているだけ。
それで出演料を得ている。。。。
その発言リスクを外国へ責任転嫁することになるがそれでも批判されるが
その批判リスクも避けることが出来るはその文化人を使っているだけとしている
マスメディアだから現在の社会構造ってどういう同調でなりたっているんだ。


2021-01-04

初詣

年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事。
言葉の説明からして、敬虔さはなく
これは神事でも信仰でもなく、ただのイベント。
信仰の自由に抵触もしない。
はっきり言えば、バカな日本の悪習。
それで稼ぐ寺社もまたどうかと思う。
そもそも、資本主義経済活動と信仰って根本的に二律背反なのに
なぜ成り立っているか僕としては理解できない。
COVID-19がCOVID-20/21に進化していき
もう元には戻れない社会情勢。
この状況下で、神にすがること自体なんかおかしくないか?
詣でる意味はなんだ?
それで救われるものって、
逆に救われなかったときに当たり先に神を当てたいのか?
なんなんだ日本人って思って仕方ない。